大判例

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東京高等裁判所 昭和24年(新を)2091号 判決 1949年11月30日

控訴人 被告人 北村善一郎 山崎孝次 田沼一雄

弁護人 福田力之助 外三名

検察官 佐々木要三郎関与

主文

被告人北村善一郎同山崎孝次の控訴はいずれもこれを棄却する。

原判決中被告人田沼一雄に関する部分を破棄する。

被告人田沼一雄を懲役六月に処する。<以下省略>

理由

弁護人福田力之助外三名の名義による控訴論旨第一点乃至第九点について。

次に論旨中理由不備乃至理由のくいちがいの有無について論ずる。所論事実認定にあたり原裁判所が採用している各証言中具体的な供述内容相互の間に相異る点のあることは所論の通りであり(論旨第一点(四)第二点第四点(一)乃至(七)等)また原判決が証拠理由として証拠標目を羅列しているにとどまることも所論の通りである(論旨第九点)。然し刑事訴訟法第三百三十五条は証拠説明に付証拠の標目を掲ぐるを以て足るとしその証拠のどの部分を採つたかを明示することを要求していないのであるから、判決に甲、乙二個の証拠標目が掲記され、しかも甲、乙の内容が或る点に於てくいちがいがある場合にはこのくいちがいの部分に付ては甲、乙両証拠の中判示に添う方(例えば甲)の部分を採り判示に添わない方(例えば乙)の部分はこれを除外し即ち甲の証拠と乙の証拠中右除外部分を除いた残りの部分とを綜合して判示事実を認定したものと解すべきである。かかる場合に之を目して矛盾した甲、乙二個の証拠を綜合して事実を認定したものと見るのは証拠の標目にこだわりその引用の趣旨を解せざる言であると云わざるを得ない。原判決も亦叙上の趣旨で挙示の各証拠中それぞれ判示に照応する部分のみを抽出綜合して判示事実を認定したものと解し得られるから、その証拠説明にくいちがい又は理由不備があると論難するのは当らない。

以上の理由により論旨はいずれも理由がない。

同論旨第十一点について。

昭和二十四年四月二十二日附被告人田沼一雄に対する邸宅侵入昭和二十一年勅令第三百十一号違反被告事件の起訴状の記載によれば、本件起訴の訴因は所論試作工場を含む意味に於て賠償指定工場石川島芝浦タービン株式会社松本工場構内へ許可なく侵入した点にあることは右起訴状の記載によつて極めて明瞭である。而して判示試作工場は右工場構内に存する一建造物である。従つて原裁判所が該試作工場侵入の事実を認定したのは起訴の範囲を出たものではなく訴因の変更ありとは認め難く原裁判所が訴因変更に関する手続をとらなかつたことは寧ろ正当である。原判決に刑事訴訟法第三百七十六条第三号該当の違法ありとする論旨は理由がない。

(裁判長判事 佐伯顯二 判事 久礼田益喜 判事 正田満三郎)

控訴趣意書

第一点原判決は判示第一に於て被告人北村善一郎は学科教室に於て午後七時四十分頃恰も兇器を携帯する如く右手を上衣の内懐に入れ「今日は貴様を殺しに来た。久野にも刺客を附けてある。昨日は棧敷をドスで脅して来た」等と怒号して同人を威嚇した旨認定した。而し乍ら此の認定には理由にくいちがいがある。と同時に事実の誤認がある。(中略)

(四)各証言がくいちがい誇張されている点は(イ)証人林宏(記録四七六丁表)は原審公判廷で「七時四十分頃北村善一郎は私の傍へやつて来て、大体貴様が悪いのだといつて突然私の左頬を殴り高橋重役に向い右手を上衣の内懐に入れ「コルト銃があるぞ一発ズドンとやつてやろうか」「棧敷経理部長をドスで脅かしてやつたが貴様もやつつけてしまうぞ」等言いました」と供述しているが、斯様な趣旨は他の何人も述べて居らず、流石原審も採用しなかつたのであるが、如何に会社側証人が被告人を罪に陷す為に作為しているかがうかがわれる。(ロ)高橋恒祐の前掲告訴状(同三四九丁)には「北村善一郎は突如私の背後に来りその内懐にしのばせてある七首を今にも拔き放そうとする気配を示し……殺意を帯びて詰寄つて来た云々」と誇張した記載がある。この記載が基本となつて各会社側証人が供述を作為しているのである。従つて原審公判廷に於ける高橋証人(同三八六丁)萩尾証人(同四三三丁)上杉証人(同六〇三丁)の各証言内容は著るしいくいちがいがある。(ハ)尚原判決引用の浅井証人(同五〇四丁)は会社側の者であるが「北村が「今日は俺は持つている、わからぬことを言えばやつつけるぞ」と言つた」旨供述しているに過ぎない。同席していた会社側の証人すら斯様に重要な点について矛盾した証言をしているのに原判決はこれを羅列して判示のような認定をしたのは理由にくいちがいがあるか、理由不備といわねばならない。(中略)

第二点原判決は判示第一で被告人北村が第一点判示の事実の直後「平手で高橋及び林宏の顔面を殴打した」と判示したが、被告人北村は強く之を否定している。此の点で原審第一、第三回公判調書中の被告人北村の供述を採用する。而して原判決各証言を比較検討し又各証言の内容を調査すればその証言は矛盾していて到底信用する事は出来ない。尚之等の証言が作為に満ちている点は第一点に述べたと同一である。

(一)高橋証人(記録三八六丁裏)は「いきなり私の右頬を左手で強く殴りました」と供述しているが左手で右頬を強く殴るという事は殆んど不可能である。

(二)萩尾証人(同四三四丁)は「右手で高橋の右の頬を殴りました、それから手を返して手の甲の方で左の頬を殴りました」と供述し高橋証言とも異る。

(三)又林証人(同四七六丁表)は「突然私の左の頬を殴り」その後に(同四七六丁裏)「北村は高橋の横面を張り附けました」と供述しているが林証人を殴打したというのは同証人の証言だけであり高橋に対する暴行についても単に横面を張つたというのみで前掲萩尾証言とも著しく違つている。

(四)小平証人(同六四四丁表)は「北村善一郎が突然大きい声を出して高橋重役の頬を軽く叩きました云々」といずれもその状況について喰い違いがあり作為の痕がうかがはれる。

(五)この事実は前掲告訴状(三四九丁以下)に「私の頬をしたたか殴りつけながら貴様は現在のこの状態をよく考えて見ろ。貴様等に何が出来るのだこの様な状態になつてお前に何が出来る自信があるのかと大声に喚き立てた云々」と記載されているが、これが誇張であり又前掲の各証人の証言とも異る事はこの記載と上記証言とを対照すれば明らかである。元来高橋、萩尾等は上申書(同三四八丁)で告訴権を放棄しておきながら会社における役員会議の結果、昭和二十四年一月十五日に至り北村等を告訴し団体交渉の結果を否認しようと計つたものであるからその意図に副う様に事実が歪曲され作為されているのである。

(六)被告人北村は斯かる暴力を絶対に否認し公判廷に於いて詳細その理由を陳述して居る(同二〇四丁)尚荒井証人、茂手木証人等はかかる事実の絶対になかつた事を公判廷に於て証言しているところである。

以上に依つて原判決の認定には事実の誤認、理由の喰い違いがあるから更に調べ直しをしてもらいたい。(中略)

第四点原審判決は判示第一で二十九日午後九時過以後に於て「被告人山崎孝次は講堂演台上に於て組合側が前記四万二千円の支払を引き続き要求していた際手にしていたフエルト製スリッパで高橋恒祐の頭部を殴打し更に講堂中央に於て未払賃金の事から新潟県の東芝加茂工場の帰休問題に議論が飛んだ際、前記スリッパで萩尾直の手を殴打し」たと認定した。然しながら此の点で被告人山崎は講堂演台上に於て高橋の傍え寄つたことはなく、又中央疊の上ではスリッパを持つていたが高橋、萩尾等に暴行したことはないと供述している。此の点では原審第一、第三回公判調書の被告人山崎の供述を援用する。又証人荒井利周の原審公判廷の供述(同八八四丁)「講堂の台の上ではお互に少さな声で交渉していたが傍聴人から聞えないので真中え出て交渉せよとの声があり会社側の同意を得て中央に移した」趣旨の供述をしているし、記録中の検証調書、同図面、同写真でも明らかな通り台上では被告人山崎は他の女子二人と共に坐つていたのであつて判示の如き暴行をする筈はない。

只高橋証人のみが判示のような証言をしているだけである。これは全く誤解か、作為しているのである。尚被告人山崎が本件について起訴されているのは此の事実のみであり、而も前に引用した昭和二十四年一月十九日附の告訴状(同三五九丁)によつて始めて被告人の名前が現われたのである。その他の証言に依つても被告人山崎に関する前掲事実については各証言が区々であり互に矛盾していて判示の如き事実を認める事は出来ない。

(一)萩尾証人(同四三七丁裏)は「私は机の上え両腕を伸ばしているとその右手をスリッパで殴り高橋も同様両手を殴られました」と述べ且「殴られた時、私は痛いと言いました」と供述している萩尾証人が高橋、林、浅井、上杉等と被告人山崎を本件の一犯人として検挙せしめようとした事は明らかであつて、この「痛い痛いと言いました」との証言の如きは作為の痕歴然たるものがある。何んとなればフエルト製スリッパはやはらかく然も薄いものであつて激痛を感ずる程打撃を与える事は不能である。加之萩尾証人は講堂中央で高橋も殴られたと証言している。

(二)前掲一月十八日の高橋訊問調書では「名前を知らぬ男がフエルトのスリッパで私の頭をポカンと殴りつけました云々」と言い、更に演台上の交渉は一時間位であつたと述べている。然るに翌一月十九日附萩尾直の告訴状(同三五九丁)には被告人山崎孝次を指定し「山崎孝次にスリッパを一揃え左手に持ち机の上に置いていた私の左手を力一抔叩きつけられました」と記載されて居るし前掲原審公判廷に於ける萩尾の証言ではその場で山崎という名前が分つたと供述し又高橋証人は講堂台上の交渉は短かかつたと述べている。

(三)林証人(同五〇〇丁裏)は公判廷に於て被告人山崎の訊問に答えて同被告人が高橋を殴つたのは講堂の中央だと云い尚「問、高橋を私がスリッパで殴つたというがどんな格好で殴つたのか、答、前かゞみになり頭を殴つていたのです」と述べているが高橋、萩尾等の証言とも異なる。而も誇張している。

(四)浅井証人(同五〇五丁)は萩尾証人に迎合した如く更に誇張して「それから疊の上え交渉場を移し交渉を続けたのですがそこでも田沼氏は高橋重役の胸倉をとり山崎はスリッパで机の上を叩いていたがその中に萩尾が痛いと云いましたが、それは後でスリッパで殴られたのだと聞きました云々」と述べているが勿論之は伝聞証言で証明力はない。

(五)上杉証人(同六〇〇丁)は公判廷で事実を否定し「山崎がスリッパを持つて机を二、三度叩いているのは見たがスリッパで高橋等を叩いたのは私には見えませんでした」と述べている。

(六)矢島証人(同六二八丁)は「山崎孝次が萩尾を叩きました、その時萩尾が怒り君は組合を代表して会社代表者としての僕を殴るのかといつたところ山崎は個人として殴つたと言いました」と述べ、小平証人(同六四四丁裏)は「山崎孝次さんが萩尾さんをスリツパで殴つたらしく私はその殴つたところは見ないが萩尾が山崎にあなたは組合を代表して、会社代表たる自分を殴つたのかと言つて居りましたので、私はこれは萩尾を叩いたのだと思いました」と述べて恰も被告人山崎が萩尾を叩いた様に言うけれども第四回公判調書の萩尾証人の証言によれば「問、手を叩かれたと云うが叩いた人は組合を代表して殴つたのか、個人として殴つたのかと言つた事があつたか、答、左様な事を云つた記憶はありません」と供述している通りこれ等の証言は全く喰い違つて居り又内容が条理に反して判示の様な認定をする事は到底出来ない筋合である。

(七)証人荒井利周は原審公判廷で被告人山崎が講堂中央でスリッパを手に持つていたこと、机を叩いたことは知つているが、高橋や萩尾を叩いたことはない旨(同八六六丁)述べ且「問、痛いと云う声を聞いたか、答、ないです、極く静かな雰囲気でした、その時傍聴者は坐つていたが見えないから坐つて交渉してくれという程極く静かな交渉でした」(同八八七丁)と述べている。

以上の理由に依り被告人山崎の判示事実については、事実の誤認があるから原判決は破棄すべきものと確信する。(中略)

第九点原判決は刑事訴訟法第三七八条四号「判決の理由を附せず又は理由にくいちがいがあること」を主張する。

刑事訴訟法第三三五条第一項には「有罪の言渡をするには」罪となるべき事実に付き「証拠の標目」を示すことが要求されている。「証拠の標目」を示すとは犯罪事実を認定する基礎となつた「証拠」に付きその証拠の同一性を示す標題、種目を掲げることであるが証拠説明としてその挙示が要求される以上各証言に相違がある場合にはどの証拠のどの部分を証拠としたかが合理的に推認される程度に具体的に示す必要があるものと解さなくてはならない。

原判決は前述数点に詳細に指摘した如く証言の間に著しい矛盾や相違がある。かかる場合判示の如き事実を認定するには論理上及び経験上の法則に照してどの証言のどの部分を証拠としたか分かる程度に示すことを要する、然るに原判決はかかる合理的法則を無視して「その余の事実に関する証拠」として互に矛盾や相違ある証言の標目を並列的に示すにとどまり、そのいずれを採るかを何等摘示していないのは法の要求する「証拠の標目」を示したことにならない。従て旧刑訴第三六〇条の如き「証拠に依り之を認めたる理由を説明」する必要はないにしても「証拠の標目」が求められている以上各証言に相違がある場合どの証言のどの部分を証拠としたかが合理的に推認される程度に具体的に示していないのは刑訴第三七八条第四号の「判決に理由を附せず又は理由にくいちがいがあるもの」に該当し原判決は破棄さるべきものといわねばならない。<以下省略>

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